ただいま闘病中。
東北の旅の途中で中断したままになっていますが現在入院中です。
本日で1週間目、命に関わるような病気ではないのでご心配なく。
体温も血圧も正常に戻ったので、しばらく点滴生活が続きますが、おいおい更新も再開します。
闘病記
入院生活が始まりもうじき2週間、
夜の散歩の途中でおなかが痛くなり、ショートカットして帰宅しトイレから出たところで動けなくなった。
救急で担ぎ込まれた病院では当初のうち食あたりとされ、これで2日が無駄に。
点滴と投薬で何も改善せず、ピーピー系と違いみぞおちの辺りを万力で締められるような苦しさ。
血圧は220オーバー、
聞いたことだけあった過呼吸というやつになり、
手足がしびれあちこちがこむらがえったため、ビニール袋でスーハーした。
最初のVIPルームから一般病室に移った夜、苦痛が限界に。
冗談ではなく、「ひとおもいに殺してくれ!!」といった感じ。
ベッドの上をのたうちまわり、床に落ちかけたところで記憶が...
気がつくと集中治療室のベッドの上で、ちんちんにチューブを突っ込まれ寝ていた。
聞くところでは暴れるのを6人がかりで押さえつけ、拘束具で縛り上げて鎮静剤を打ったとのこと。
ここまできてようやく新たな診断結果が、腸の血管の障害。
「上腸間膜動脈解離」というのが正式な診断名、上腸間膜動脈という早口言葉みたいなのはSMAが略称。
かなりの確率で自然治癒するものの、この病院では万一の際に手術できないので大学病院へ救急車で搬送。
現在入院しているのは心臓血管外科、まわりは心臓の手術待ちや後のひとばかり。
手術の予定もなく、バベルの塔みたいな点滴タワーを引き連れた姿は異質、
どうにも放ったらかされ感がある。
点滴生活にうんざりし、左手がパンパンになったのをいいことに一瞬はずしてもらった。
しかし、血圧が下がらないのでまたオンライン生活に逆戻り、だいぶ種類は減ったけど。
とりあえずは薬の量を調整して様子見中、明日には外せるか。
後はお通じ、入院初日に何度か下痢をしてから10日以上沈黙、
元々便秘気味な体質で長いこと固形物も食わずに寝たきりだったのでしゃあないところではあるが。
早くシャバに出たい、メシまっずいし。
8/30現在、点滴取れた、お通じもOK。
退院近し、か?
毎日暇や
まだ退院の日が決まらない、
今週に入って容態も安定し、食事も普通食になっているのだが。
入院していても治療というものは特になく、朝晩に体温と血圧を測り一日おきに採血しX線撮影。
手術もしないんだから、とっとと出せ。
日中はこれも一日おきの風呂とX線撮影(5分で終了)しかすることなく、
それすら無い日は全く寝てるだけ。
入院以来体重7キロ減、寝たきりで痩せていっているので超不健康。
少し歩くだけでへたりこみそうになる、足が細りルパンみたいになってしまった。
楽しみは3時のおやつにこっそりアイスを食うこと、早く解放されたい。
退院
本日、退院。
病院のロビーで、すでにお疲れ。
家へ帰り、外で鍵をごそごそしていると、
「ウォン、ウォーン」とくせもの扱い。
中へ入ると感動のご対面ともいかず普通にお出迎え。
久しぶりに、ぐりぐりしてやる。
昼食はマクド(ダブルチーズバーガー)、ずっと病院食のせいでジャンクなものが無性に食べたくてうまい。
しかも減塩食だったので味がすごく濃く感じる。
で、こちらは早速の散歩の催促。
入院中、手術後にリハビリ(廊下をぐるぐる周るだけ)している爺さんたちを他人事のように見ていたが、
自分も2階へ階段昇るだけでひーひー、脚が上がらない。
手術もしとらんのに超体力ダウン。
というわけで、散歩はしばらくお預けじゃ。
かわりに介護しろ。
入院こぼればなし
今回初めての入院を体験した、救急で担ぎ込まれるというおまけつきで。
そのときのもろもろのことを忘れないうちに。
最初の入院先は家の近くのH総合病院、
救急車を呼ぶと何処へ連れて行かれるかわからないので、
後のことを考え受け入れてくれるか直接電話し、ぴろ父の車で運んでもらった。
ぴろ運転だと2重遭難の危険があるため。
で、「この時間だととりあえず入院ですね」はいいが、
「一番高い病室しか空きがないんですが、いいですか?」って、
死にそうなくらい苦しんでいる病人に聞くな!!
付き添いがおるやろ、ボケ!!
これがその病室、ぴろブログで、1日7000円となっているが、1泊だと14000円でシティホテル並み。
ホテル基準だとたいしたことないが、まあ広くてきれいな部屋だった気がする。
とにかく、トイレがあったのが助かった。
風呂もあったがこちらは入る余裕全くなし。
翌日、一般病室に移ったがそこで一夜を明かすこともなく、
苦しさでのた打ち回ったあげく痙攣を起こしICU(集中治療室)へ。
うわさに聞くICU(集中治療室)とはどんなところか、
機材は多少多かったが普通の病室とさした違いはなし。
誰かが近くに控えていて、常に看ていてくれるのが一番の違いか。
これはICU脇の小部屋。
入院にあたりいろんな承諾書にサインさせられた(らしい)が、極め付けがこれ。
暴れるから拘束していいかの承諾書。
気がついたらICUで普通に寝てたので当人は全然覚えがないが、
6人がかりで押さえつけられ拘束されていたらしい。
あと、書面はないがTシャツを脱がすのに切っていいかの承諾も求められたらしい。
で、これがお陀仏になったTシャツ。
病気の内容がわかるにつれ、万が一のことも考えF大病院に移ることになり、
特に緊急でもないが、救急車でサイレン鳴らして搬送してくれた。
が、福岡の車は救急車が来てもよけない。
「救急車が通ります、進路を譲ってください」とスピーカーで叫んでも、交差点で止まって待つのはこちらのほう。
前から感じていたが、福岡の車には田舎道の軽トラ感覚なのが多く見られる。
自分のことしか見えていないので、右側車線をのろのろ走っても平気、
無理な右折やUターンで、危なかったり後続車の邪魔になっても平気、救急車も気にしない?
F大病院では最初個室へ、
これは特別待遇なのではなく他所から転院してくると、とりあえず隔離されるらしい。
ようはバイキン扱いか!!
後で聞いたところでは、この病院では1年以上前に今話題の多剤耐性菌「アシネトバクター」の騒ぎがあったらしい。
入院後は前の病院から引き続きの点滴生活、
栄養と水分補給のメインのやつの横から、でかい注射器みたいなので血圧を下げる薬剤や、
血液さらさらにする薬剤等もろもろを投与される。
点滴針も1本では足りず、左腕に2本刺さっている。
点滴で栄養補給されるせいか不思議と腹はすかない、食欲がわく状況ではないが。
なんだかんだ4種類もくっついているとそれぞれにコンセントがあって、トイレ行くのもたいへん。
同時に水分も24時間補給されているわけで、夜中に2回はトイレに行きたくなる。
わき腹の小袋は心電図モニタ、胸に端子が貼り付けられコードが送信機に伸びている。
バッテリが入っているので結構重く寝るとき邪魔、これは比較的早くに取れた。
こんな生活を10日ほど、薬剤がもれたりで手がパンパンに腫れてきたのを口実に
一時外してもらったが血圧が上がってふらふらになり、また点滴つきに逆戻り。
2週間でようやく全部がとれた、この少し前あたりから食事も開始。
この食事が三分粥からスタートで五分粥、全粥となりようやく白飯(ただし高血圧向け減塩食)に、出世魚か。
大体、三度三度おかゆなんか食えるか。
点滴のみ生活で7キロ痩せて、お粥でプラス1キロ痩せた。
だがその裏で、お粥食というもののおかずは結構普通なのでこれだったらと、
「サンドウィッチ買ってこい」とぴろに指令。
牛乳と卵がいいんだったらと「アイス食いたい」とこっそり買い食いし、栄養補給。
ここは大学病院なので、毎週火曜の朝に教授が部下を引き連れ大名行列のようにまわってくる。
検診があるので入院患者はベッドにいろと放送があって、ひとりひとり順番に診て回るのを待つ。
ドラマやマンガで見たそのままなので、笑ってしまった。
体温計が患者一人一人に割り当てられ、毎日看護師がチェック(資産管理)に来るのだが
手術に行った人のが行方不明になり、大騒ぎして探していた。
あんなもの誰も盗ったりしないし他の荷物といっしょに紛れ込んだとしか思えないのだが、
まさか麻酔があけていきなり「体温計知りませんか?」とも聞けないだろうしどうなったのか。
あとどこでもあるのかもしれないが、
手術直後の患者にいいベッド(マットレス)を割り当てるようローテーションというか地上げがある。
主任さんが、「術後の患者さんに譲ってください」とお願いに来る。
さして寝心地がよくもないが、慣れた寝床を譲るのは嫌なものだ。
自分はベッドそのものはなかったが、ベッドの位置を出にくい場所へ移された。
自分は月水金と血液検査を受けていたのだが、その採血は朝の6時前後に行われる。
何も飲み食いしないうちに採ってしまいたいからだろうけど、
ひどいときは真っ暗な5時ごろに看護師がやってきて、寝ぼけて朦朧としたまま血を抜かれる。
まさに明け方の吸血鬼。
そんなこんなの中、なかなか検査の数値がよくならず(買い食いのせい?)、
予想外になが居してしまったが、ようやく解放されほっとしている。
手術せずに済んでよかった、もう2度と入院なんかせんぞ!!